町指定文化財 玄蕃壇(げんばだん)

更新日:2024年02月02日

長崎楯8代楯主・中山玄蕃頭朝政の墓所

町名の由来であり、南北朝時代から江戸時代初頭にかけて当地を治めた中山家に関係する史跡です。中山氏は至徳元(1384)年に長崎楯(現在の中山町長崎地区)に入部し、初代の楯主は今の大江町にある伏熊(ふしくま)楯7代中山貞朝(さだとも)の娘婿である中山左衛門継信(さえもん-つぐのぶ)です。

本史跡は、長崎楯の8代城主・中山玄蕃頭朝政(げんばのかみ-ともまさ)が天正11(1583)年に68歳で死去した際に埋葬されたといわれる墳墓地です。朝政は五十余年のあいだ、地域開発と住民統治を果たし、領民の尊崇篤く、「玄蕃(げんば)​​​​​​さま」 と慕われていました。

県道178号線を背景に、白い案内看板の周辺に、低木や草花が植えられ、三角屋根の小さな祠が佇んでいる写真

中山町指定文化財(史跡) 昭和43年4月指定

玄蕃壇についての説明文が記載された三角屋根のついた白い案内看板の写真

玄蕃壇と円同寺

玄蕃壇のある地は、長崎楯二の丸内に位置した中山氏累代の菩提所「円同寺」のもとの境内に当たります。往昔は近くを最上川が北から南へ迂曲して流れていましたが、度重なる洪水に悩まされ、享保12(1727)年に東方の長崎楯本丸近くに堂宇を移転しました。先駆けた享保9(1724)年には中山家の遺骨を本丸跡の大銀杏下に改葬し、文政13(1830)年には円同寺境内に朝政碑が建立されました。

墓所のみが残された当地には小さな祠が祀られ、毎年5月17日の例祭日には地元の人たちによって供養祭が行われています。

所在地

玄蕃壇の所在地

中山町大字長崎4669-1

関連文化財

町指定文化財(天然記念物) ​​​​​​楯の大イチョウ

 長崎楯の本丸の庭前にあったと伝わる大イチョウの木です。高さ約30メートルに達し、晩秋には金色に彩る堂々たる姿を見ることができます。町民の間では「大イチョウの葉が落ちると雪が降り始める」と天気を告げる身近な存在になっています。

所在地

中山町大字長崎字古城419-1

楯の大イチョウ

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中山町教育委員会教育課生涯学習グループ(文化財担当)

歴史民俗資料館

電話023-662-2175

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