岩谷十八夜観音

更新日:2024年01月24日

岩谷十八夜観音の信仰

 町の西方約4キロメートル山奥にある岩谷地区の十八夜観音堂は、昔から目の病気をなおす仏神として信仰され、地元はもとより遠方からも多くの信者が参拝に訪れました。本尊の縁日が18日であることから十八夜観音といわれています。
 また、当時は「オナカマ(口寄せ巫女)」の本山といわれるほど栄え、オナカマが納めた道具や絵馬などが国の重要有形民俗文化財に指定され、中山町立歴史民俗資料館に保存されております。
毎年8月18日の観音例祭で行なわれる火渡りの儀式では、修験者により清められた火の上を大勢の参拝者が様々な願いを込めて渡っていきます。

緑の木々に囲まれた木造の本堂の、閉じた扉の前に2本の長い鈴緒が下がっている岩谷十八夜観音堂の外観写真
紙垂を取り付けた注連縄が張り巡らされた中で、山伏姿の修験者が、白煙が上がり火がくすぶる護摩木の上を渡り、一般参加者の男性がその後ろに続こうとする様を多くの見学者が見守っている様子の写真
緑の木々に囲まれた参道の階段の両端に、奉納岩谷十八夜観音例祭と書かれた赤いのぼりが立っており、その奥にある本堂の入り口には中央が開いた白い神社幕が掛けられている写真
紙垂を付けた注連縄で囲んだ中で、山伏姿の男性が左手を掲げ、手前にある腰上まで積み上げられた護摩木に点火しようとしている様子の写真
白煙がのぼり、炎を上げる護摩木の上を両手を合わせ目を瞑りながら、裸足で渡る男女の3名と後ろで見守る人々の写真

岩谷十八夜観音堂

 観音堂の縁起には、飛鳥時代の開基とあるが定かではありません。拝殿は大同2年(807年)に再建されたとの言い伝えがありますが、現在の拝殿は江戸中期の建物と鑑定されています。また、本殿は文政9年(1826年) 8月18日再建の棟札が残っています。
 しかし、観音堂の南西約1キロメートルの高峰山頂近くに「奥の院」と呼ばれる場所があり、そこの洞窟内にある石造物(宝篋印塔=鎌倉~室町時代)の存在から推定すれば、古い時代に建造されたものが再建されたものとみられています。
 岩谷観音はむかしから目の神様、仏様として信仰され、地元はもとより村山地方の遠方よりの信者も多く参詣していました。また、「オナカマ(口寄せ巫女)」の本山といわれるほど栄えたといわれています。むかしは年に3回の例祭がありましたが、現在は8月18日を例祭としており、毎年大勢の参詣者でにぎわいをみせています。
 岩谷観音が特に注目されるようになったのは、主に村山地方一円から納められた数多くの「オナカマ」の道具や絵馬など合計951点が、国の重要有形民俗文化財に指定されたことです。この資料は町の歴史民俗資料館で見ることができます。

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中山町教育委員会教育課生涯学習グループ(文化財担当)

電話番号023-662-2175

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